エレキの神様・寺内タケシ
電気ギターと呼ばれていたエレキブーム以前よりエレキギターに惚れ込み、その普及に大きく貢献してきた寺内タケシは、エレキブーム到来とともに、日本一の腕前を誇る<エレキの神様>として崇められ、海外でも高く評価され、多数の国に招待されて演奏を行うことになる。


寺内タケシ:1938年1月17日生、茨城県土浦市出身(本名:寺内武)

生家が電気店&レコード屋だったため、7才の頃からエレキギターを自分で設計して作り始める。
関東学院大生の頃、ロカビリーバンド・クレイジーウエストに参加。
同期メンバーにベース担当の碇矢長一(現ドリフターズのいかりや長介)がいた。

1960年、碇矢とともにカントリーバンド・ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズに移籍。
このメンバーには後のドンキーカルテットのジャイアント吉田がいた。
当時の紹介記事には、寺内(電気ギター)と記されている。

1962年夏、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズを脱退しブルージーンズを結成。
メンバーは、寺内(エレキ)、鈴木八郎(ピアノ)、冬梅くにひこ(テナー・サックス)、有馬修(ベース)、堀道昭(ドラム)の計5人でロカビリー色の濃いバンドであった。
専属歌手・ほりまさゆきの多数のレコードでバックをつとめる。
1963年5月、単独シングル(ドンナ・ツイスト/ジャニー・ギター)を出し、アルバムも発売する。

1963年夏、メンバーチェンジをおこないエレキバンドに。
メンバーは、寺内(第1エレキ)、スパイダースより移籍の加瀬邦彦(第2エレキ)、市山正英(第3エレキ)、有馬修(ベース)、工藤文夫(ドラム)、鈴木八郎(ピアノ)の計6人。
専属歌手には、ほりまさゆき、内田裕也、桜井五郎、藤本好一、渚一郎など。
ジャズ喫茶、ウエスタン・カーニバル、レコーディングと大活躍することに。
1964年6月、東芝からの[これぞサーフィン]とテイチクからの[太陽の彼方に]の2枚のアルバムが、初エレキものとなる。
1965年、爆発的なエレキブームを迎え、ブームの中核である寺内タケシとブルージーンズは、1964年12月〜1966年7月までにLP14枚、シングル9枚、コンパクト盤17枚を発表する。
(1965年11月発売の植木等の<遺憾に存じます>のバック演奏も行い、年末の紅白歌合戦出場をはたす)

1966年、エレキブームが一段落し、インスト&ボーカルが流行の兆しをみせはじめる。
寺内タケシは、1966年3月にブルージーンズを脱退し、1966年6月にバニーズを結成する。
加瀬邦彦も1966年5月にブルージーンズを脱退し、1966年7月にワイルド・ワンズを結成する。
この後、GSブームに突入することになる。

ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ
後列左より2人目・寺内タケシ
後列右端・いかりや長介
前列左端・ジャイアント吉田
寺内タケシとブルージーンズ
左より3人目・寺内タケシ
左より2人目・加瀬邦彦